小学館イマージュ
良寛「頭髪蓬々耳卓朔」
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無一物に生きた清貧の禅僧・良寛。自由な魂の気高さを宿す逸品が、穏やかな息吹をもたらす。
【良寛遺墨「頭髪蓬々耳卓朔」について】
本作品は、新潟県指定の文化財であり、その文化財の中でも出色の墨跡である。
良寛は岡山県の円通寺で仏道修行を了えて、三十九歳の冬帰国した。その翌年ごろから、二十年間国上山中腹の五合庵に独居し、漢詩、和歌、書芸にたずさわって、芸術の花を咲かせた。良寛のこの三種の芸術は、日本でも有数のものだが、特に技巧を超えた道徳の高さが支えとなっている点に、大きな特徴がある。
こうした良寛を敬慕して、その生活を援助した人に、分水町牧ケ花の庄屋だった解良叔問(けらしゅくもん)がいた。(中略)
同家で良寛は多くの書を遺したが、この作品は特に名高い。墨色が美しく、筆の穂先も細く連綿と続いて美しい。用紙は特漉きのものか。おそらく、墨も筆もそして紙も、当時の最高の品であっただろう。
詩は、七言四句の古詩である。内容は、不恰好で破れかかった衣服を着ている常識はずれの身なのに、托鉢を終えて帰ろうとしても、子どもたちは、わたしを捕えて離さないことだ、という。
良寛に、「三好」というものがある。子どもと手毬とハジキだと言われる。この詩でも、子どもと遊んでいた情景がしのばれる。
その時の躍動感が、書に現れている。「頭」「耳」「半」「日」「帰」「児」の所で墨継ぎがされたようだ。あとは滑らかに筆が運ばれている。その潤筆と渇筆とが、絶妙な流れを形成している。さらに字形の大小が、美しい調べを奏でている。また「頭」と「日」の起筆にみられる滲(にじ)みや筆の行間における余白が、絵画的な要素を含んで字を浮きたたせる。(後略)
(全国良寛会常任理事 谷川敏朗/本品解説書より抜粋)
【七言詩(漢詩)について】
●原文
頭髪蓬々耳卓朔、納衣
半破若雲烟 日暮城(頭)
帰来道、児童相擁西又東
越州沙門良寛書
●釈文
頭髪蓬々耳卓朔(とうはつほうほうみみたくさく)、納衣(のうえ)
半ば破れて雲烟(うんえん)の若(ごと)し。日墓城頭(にちぼじょうとう)
帰来(きらい)の道(みち)、児童相擁(あいよう)す、西又東。
越州沙門(しゃもん)良寛書
●詩の内容
髪は乱れ耳はそばだっているが、着ている袈裟は
半ば破れてぼろぼろだ。そんな私が、日暮れて
城のほとりの道を帰って行くと、
子供たちが私の両脇につきまとってくる。
【200年の歳月をこえて、良寛・円熟期の遺墨を復刻】
「頭髪蓬々耳卓朔」は、良寛と交流のあった解良(けら)家に伝わる一幅。秘蔵の遺墨であると同時に、良寛の天衣無縫な生きざまが感じられる逸品だ。本掛軸は、その原本を、良寛没後170年にあたり解良家の特別許可のもと、軸装仕立てで完全復刻したもの。その証として、掛軸を収める桐箱には、解良家の許可印と証書が付される。
四季折々の催事や風情にあわせ、お客様へ心づかいをあらわす一幅として愛用いただけることだろう。良寛の清新な書風を存分にご堪能いただきたい。
【良寛・りょうかん(1758年~1831年)】
1758年、越後出雲崎の名主の長男に生まれながら18歳で仏門に入り、22歳の時に名を『良寛』と改める。備中国(岡山県)玉島、曹洞宗円通寺で漢籍作詩を学びながら国仙和尚に師事し20年間厳しい修行をおくる。
良寛は、質素な暮らしのなかで和歌や漢詩つくり、書を愉しむという自由で無欲な生き方を通したといわれている。また、山里の子供達と遊ぶことが多く、今に伝わる和歌や書簡にも子供達と楽しく遊ぶ情景は沢山残されており、慈悲と寛容に満ちあふれ、やさしく穏やかな心と生涯をかけて思索を重ねた志の高さが見てとれる。
良寛は、僧ではあっても生涯寺を持たず托鉢生活を営み、法を説く代わりに多くの人々と親しく交流した。1831年、庶民に「良寛さま」と慕われながら74歳の生涯を終えた。