福岡県 八女郡「久留米絣」
カテゴリ | メイドインニッポン紀行
2014/3/10

久留米絣の色柄を生みだす脇役「括り糸」で織った新感覚の絣
【久留米絣とは】
寛政初期(1800年ごろ)、久留米の米商の娘・井上伝が、着古して色が抜けた藍染の着物糸を見て、染め分けた糸を織れば柄になることに気づき「加寿利」と命名。発明家として知られた鼈甲細工師・田中久重(からくり儀右衛門)らの協力もあり、地場産業に発展。
ドットにしか見えない糸の色が交叉の連続で図柄に変わる
衣服を選ぶ大きな要素である生地デザイン。といっても、私たちが日ごろ意識している生地デザインとは主に色や柄の好みで、背景にある技巧にまで思いを馳せる機会は少ない。200年の歴史を誇る久留米絣の産地を訪ね、日本の職人の美に対する意地のような執念を垣間見た。
絣は、経緯の糸の織り合わせによって文様を出す生地だ。反物の上から意匠を直接施す友禅などと異なり、絣の図柄は染め分けた糸の配置によって決まる。糸を見ただけでは、それがどんな柄に仕上がるのか見当もつかない。いわば白と有色の単純なドットの繰り返しだが、織機の上で交錯して生地になるうち、ドットに隠されていた意図がようやく見え始める。
寛政初期(1800年ごろ)、久留米の米商の娘・井上伝が、着古して色が抜けた藍染の着物糸を見て、染め分けた糸を織れば柄になることに気づき「加寿利」と命名。発明家として知られた鼈甲細工師・田中久重(からくり儀右衛門)らの協力もあり、地場産業に発展。
ドットにしか見えない糸の色が交叉の連続で図柄に変わる
衣服を選ぶ大きな要素である生地デザイン。といっても、私たちが日ごろ意識している生地デザインとは主に色や柄の好みで、背景にある技巧にまで思いを馳せる機会は少ない。200年の歴史を誇る久留米絣の産地を訪ね、日本の職人の美に対する意地のような執念を垣間見た。
絣は、経緯の糸の織り合わせによって文様を出す生地だ。反物の上から意匠を直接施す友禅などと異なり、絣の図柄は染め分けた糸の配置によって決まる。糸を見ただけでは、それがどんな柄に仕上がるのか見当もつかない。いわば白と有色の単純なドットの繰り返しだが、織機の上で交錯して生地になるうち、ドットに隠されていた意図がようやく見え始める。
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図柄のデザインは方眼紙の上で糸の数式に置き換えられる。
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昔ながらの本藍も使う。かつて絣といえば藍染めの生地を指した。
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糸を必要な分だけ取り分ける「整経」作業。染めの前段階の作業だ。多くは機械で行なうが、熟練の職人にしかできない工程も多い。
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機械化されているといっても括りを決めるのは人の手
絣の仕上がりを左右する重要な作業「括り」。久留米随一の括りの名手で、この道60年の坂本壽昭さん(73歳)が、奥さんの晴美さんと阿吽の呼吸でこなしていた。坂本さんは伝統工芸士にも認定されている。 -
「工房かすりの里」。自分で糸の配置を計算し、自分で糸を染め、自分でさらし、自分で織る、昔ながらの久留米絣の手法を今も守り続けている。
