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水の平焼 器峰窯 「天草」恍惚の飯椀

カテゴリ | メイドインニッポン紀行

自由で大胆、そして血で受け継がれる伝統

焼き物の産地で知られる、熊本県天草市。周辺には有田焼、唐津焼などあるが、200年以上、地元の人に〝日常使い用〟として愛されているのが天草地方の焼き物だ。この歴史背景には、天草の人々が、〝お城の殿様用〟ではなく、〝生活のため〟に器を作ってきた歴史がある。
「天草の焼き物のスタイルは、秘伝の技術や形というようなことは特にありません。自由なんです。『水の平焼』は1765年に創業されましたが、約250年作ってきたものを見ていても、陶器、磁器、絵付けなど、なんでもアリ。明確な定義がないんです」(父・信行さん)
それでも、〝血〟や〝風土〟で、技術は継承される。信行さんの次男・俊郎さんは、焼き物は〝作品〟ではない、と言う。
「使っていただいて、日常になじむことを大切にしています。それには、先祖7代にわたり受け継がれている〝何か〟を作陶から探る日々。やはり、大きな学びがあるのは父。そして、ひいおじいちゃんでもある5代目・源四郎が残した、さまざまな資料です」(息子・俊郎さん)
ちなみに、この岡部源四郎氏は明治時代から昭和初期にかけて作陶に励んだ名工。多くの釉薬を試し、現在の『水の平焼』の特色でもある海鼠釉の研究に取り組み、確立した人物。
「子供のころに粘土をこねて遊んでいたときに、祖父・源四郎や父から、火の色で窯の温度を見極める方法や、釉薬の作り方についてなど、多くを学びました」(父・信行さん)
長年、地元で使われていた『水の平焼』。〝取扱店は遠くても熊本市〟と言う岡部さんだが、『水の平焼』の歴史をひもとくと、天草にとどまってはいない。
「3代目の弥四郎が、1877年、東京・上野で開催された内国勧業博覧会に植木鉢を出品。内務卿・大久保利通より花紋賞牌(3等)を受け、全国に名前が知られるように。その後もロンドンで開催された日英博覧会にコーヒーカップを出品しています。私にはそういう志向はないのですが(笑)」(父・信行さん)
現在、岡部さん親子が作陶のときに大切にしているのは、〝使いやすさ&心地よさ〟。
「スプーンを使う人が増えたから、お皿の内側、口の当たる部分に若干厚みを持たせて、カーブをつけるなど、微調整をしています。毎日使うからこそ、生活様式に寄り添っていたい。そういう器を、これからも作り続けていきますよ」(父・信行さん)
  • 水の平焼 器峰窯 「天草」恍惚の飯椀

    竈神を祀る注連縄が、聖域であることを物語る
    信行さんと長男・勇一さんが作陶している工房に隣接する窯。窯に入れたら、仕上がりは〝神のみぞ知る〟というのも焼き物の特徴。

  • 水の平焼 器峰窯 「天草」恍惚の飯椀

    与謝野鉄幹・晶子夫妻が天草を訪れたときの写真が残る
    皇族や著名人が天草を訪ねたとき、献上する焼き物を手がけている水の平焼。明治の歌人・与謝野鉄幹・晶子夫妻もここを訪れた。

  • 水の平焼 器峰窯 「天草」恍惚の飯椀

    5代目・岡部源四郎が残したさまざまな器の形
    偉大な5代目が書き残した資料から、俊郎さんが型を起こして作陶をしている。ひし形、花の形、絵付けの図案などを復刻。

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    5代目・源四郎が残した写本や資料に製作のヒントを見つける
    コピーがない明治時代はすべて写本。水茎したたる達筆で残された写本には、明治当時の作陶技術のすべてが残っている。

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    第1回内国勧業博覧会に出品したものと同型の植木鉢
    100年以上の時を経て残る植木鉢と受賞の賞状。深山幽谷の図柄を彫り込み、それを絵柄とした技術が高い評価を受けた。

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    日英博覧会(1910年)にも出品した
    コーヒーカップなどまだ誰も知らない時代に、資料と首っ引きで作ったコーヒーカップ。ヨーロッパでも高い評価を得た。

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